【読書】11冊目 感想 『老後の資金がありません』 垣谷美雨 見栄を捨てれば人生はかくも生きやすい
11冊目 『老後の資金がありません』 垣谷美雨
概要
定年間際に不幸にも冠婚葬祭イベントが重なってしまい、貯金が底をついてしまう 一家の物語。主婦の目を通して描かれる
読んでみて
・”見栄”に苦しまされる浮世のリアルさ
葬式の棺桶で松竹梅のうち一番安いグレードの”梅”を選べない
娘の相手は良家だからと、高級結婚式を承諾してしまう
ママ友たちに流され、高級ランチ
元浅草老舗和菓子屋の女将である小姑を高級老人ホームに入居させる
どれも読んでいるうちは「えっ、なんで」と感じるが、それは第三者の目線。
当時者としてNoを突き付けるには、一般人には相当な勇気だ。
・活路を開くのは「腹を割って話す勇気」
資金繰りに追い詰められ、次第に吹っ切れていく主人公・篤子
なりふり構わず周囲に資金難を打ち明けていくことが功を奏し、物語は好転していく
・コミュニケーション不足が引き起こす悲劇
「周囲に合わせ波風立てずに生きていく」という事。表面的には円満に見えるその生き方は大抵の場合、自己完結的で「楽」な生き方だ。
相手の気持ちを勝手に想像し、それに合わせて自分が我慢すればいい。
その場限りの縁であればそれで乗り切れる。
ただし、血縁者といった切っても切れない関係の場合、それは真綿で首を絞めるように自身の立場を苦しめていく。
この物語の場合だと
「向こうは良家だから、絶対に安いところで式は挙げないだろう」
と勝手に推し量って、我慢をした結果600万を失っている。
実際は、出来の悪い息子であまり思い入れはなかったらしい
「リストラされたことを親族に隠し、余裕があるフリ」をした結果
旦那の妹と共同出資している小姑の高級老人ホーム解約に応じてもらえない
つまりジワジワと追い詰められながら、表面的には余裕なふりをしておいて、
突然ギブアップを申し出ても周囲は簡単に理解をしてくれない
解決策は
・こまめなコミュニケーションをとる。特に相手の気持ちを推し量らない
・腹を割って情報を小出しにオープンすること
どのみち”見栄”を気にしてはなかなかできないが、意識して生きていこう
これを書いている私は20代。これからの冠婚葬祭イベントを考えると気分が重くなるなぁ
【読書】10冊目 感想 『武器としての書く技術』 媒体で選ぶ言葉は大きく変わる
10冊目 『武器としての書く技術』 著:イケダハヤト
媒体で文章は変わる
Webという媒体で、どう読者の興味を惹きつけるかというテーマの本
・Web媒体では回りくどい言い回しは逆効果、まずは結論を出してクリックさせる
・タイトルに一つの単語を入れるだけで検索エンジン経由のアクセスが倍になる
・PC、スマホそれぞれ適した広告配置
といった具合に、webでの戦略が特色で勉強になる。
但し、同じような内容はネットを漁れば出てくるのも事実。
受け売りの浅い言葉より、成功した先人の経験・体験に学ぶことに価値を見いだせるならば是非手に取ってほしい。
また一般的な文章講座のような内容も入っているが、これは他の本と似たり寄ったりで大きな収穫はなかった。
【読書】9冊目 『今昔百鬼拾遺 鬼』 敬遠していた京極夏彦は意外と読みやすかった
9冊目 『今昔百鬼拾遺 鬼』 著:京極夏彦
拝み屋『京極堂シリーズ』のスピンオフ
今までマンガでしか読んだことのなかった京極夏彦を読んでみた
マンガでも相当難解なのに小説だとどうなるんだと恐る恐る手にとってみたが、意外とすらすら入ってくる。マンガで人物像や関係性のイメージがついていたので、当たり前といえば当たり前かもしれない。
はじめての京極夏彦は意外とライトな印象
ページをめくって初めて分かったのだが、この『今昔百鬼拾遺』はいわゆるスピンオフで、『魍魎の匣』を代表とする、いわゆるシリーズものに登場する拝み屋や探偵は登場しないので、宗教や妖怪といった中二心をくすぐる要素は多くない。
ただし、300P程度のライトめな本なのでサクッと読めて「これなら文庫で1000Pを超える本編もチャレンジしてみようかな」と”その気”にさせられてしまった。そう、魍魎の匣を注文してしまった。
老後の楽しみに手を付けてしまった感がすごい
↓マンガ版で世界観のイメージをつけると、抵抗なく世界に入っていけるのでオススメ
【コラム】部屋着ひとつで生活は変わる
政府から再度の緊急事態宣言。在宅の時間が増えた人が多いのではと思います。
ここで質問なのですが、皆さんは普段、家で何を着ていますか?
私の例でいうと、約10年間、夏を除いて常時スウェットを着ていたのですが、昨年からその習慣を見直すようになりました。
結論から言うと、「部屋着」と「パジャマ」は分けた方がいいという事に気づいたからです。
理由は只一つ
「オンとオフの切り替えができない。メリハリがなくなる」
特に最近の部屋着はデザインも秀逸で、近所のコンビニやスーパーも平気で行けてしまうものが多い気がします。それはそれで着替える手間が無くて非常に楽チンですが、集中すべきところとダラダラすべきところの境界が曖昧になってしまいます。これは問題で、自分自身の例を挙げると、作業中のチョイ休憩でベッドにゴロン→2時間寝てしまったという経験が何度かありました。
習慣を変えました
・会社から帰ってきたらジーンズ→勉強が終わったらパジャマに着替える
・休日、起きたらトレーニングウェアに着替える
兎に角、やることが変わる度にユニフォームを変えることを意識しています。
(デメリットとして、洗濯物が増えてしまうのですが、ムダ時間を減らし集中力を高めるためのコストとして割り切っています)
この習慣を取り入れてから
平日の読書量が増えた
大きな変化がこれです。帰宅後すぐにスウェットを着ていた頃は、食事と風呂が終わったらネットサーフィンをしてしまっていたのですが、今は4時間残業の後でもダラダラせずに読書ができるようになりました。
おかげで月残業60時間と読書毎週1冊以上が両立できています。
他にも
ダラダラネットサーフィン→ターゲットを絞った情報収集ができるように
休日午前中のスイッチが入りやすくなった
などいいこと尽くしかなというのが、私の感触です
結論
「部屋着」と「パジャマ」は分けるべき
パジャマをめちゃめちゃダサいものにして、なるべく着ている時間を短くするのもアリかなと思っています。
参考になれば幸いです
【読書】8冊目 『今夜、すべてのバーで』
※ネタバレ注意
8冊目 『今夜、すべてのバーで』 著:中島らも
概要
アル中の入院物語。
読んでみて
アルコールやドラッグ中毒の文献を読みながら、自分はまだ大丈夫だと言い聞かせながら酒を煽っていく主人公。気弱でありながらも、どこか自分事には考えられないのは非常に人間らしく、なんだかんだ読んでいて惹きつけられる
教養のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。
教養とは学歴のことではなく「一人の時間をつぶせる技術」のことである
主人公は決して頭が悪いわけではない。
アルコールに関する医学的文献を読み漁る読解力はあるし、文学や哲学についても知識を披露する場面がある。
そこそこ頭の良い人間ならば、決してアルコールに骨まで浸してしまうことはしない。それにもかかわらず、アルコール中毒になってしまうのは自分に「教養」がないからだという理論を展開している。
そんな人間が強制入院で突如、膨大な時間と向き合う事となる。結果は半分見えているが、、、
私は実際に中毒者に会ったことはないため、この小説にどこまでリアリティがあるかは分からない。
只、この本を読む私も同様に思う。「自分はまだ大丈夫だ」と
新年プチツーリング
今年の初乗りです。
1月にしては最高気温が17℃と暖かかったので、午後に出発
近所の山をぷらっとして帰宅。
セッティングを薄めにしているため、冬はエンジンのかかりが悪くバッテリーが上がらないか冷や冷やしています。暖気も念入りに5分くらいとってから出発。
話は変わりますが昨年末にタイヤをα14に変えました。自身初のハイグリップタイヤです。冷間のグリップに不安があると言われますが、公道ではあまり無茶をしないので私には必要十分でした。
途中で通った神社。風が冷たくなり、雲がどんどん低くなってくる。
局地的な寒冷前線を疑いつつも山を登っていきます。
山の中腹でやはり雨。雨一粒目で速攻でUターンを決め、雨と競争しながら下山
山の中腹で予報になかった雨。雨と競争しながら下山。雲
何とかガード下に滑り込みました。暇だったので写真を撮っていました
早くサーキットに行きたいです
【読書】7冊目『ボトルネック』 もしも自分の立ち位置に他人がいたら、、、
2021年あけましておめでとうございます。
ジャンル:小説 ミステリー
概要
背表紙曰く「青春ミステリー」
金沢を舞台に、ひょんなことから主人公はGoToパラレルワールド。そこは自分が生まれることのなかったIF(もしも)の世界だった。
読んでみて(ネタバレ注意)
テンポが良く読みやすいが、テーマは非常に重い。
▶「間違い探し」
誰しも、一度は考えたことがあるのではないだろうか
「もしも私があいつだったら、、、、」
しかし、あまりにも馬鹿馬鹿しい仮定なので、真剣に考え抜いた人はそう多くないと思っている。
この小説はそんな「もしも自分が他人だったら」という馬鹿馬鹿しい仮定に対し、どこにでもある日常を通してそれぞれの世界を比較し、違いを少しずつ明確にしていく。
これだけの説明だといささかライトに感じるが、この小説の重いところは、明確な差を突き付けられた上で、自分はこのまま生きていくのか?という選択を迫られる点。
誰しもが持ちうる劣等感をピンポイントで打ち抜いてくる小説
▶本当の自分って何だ?
「今の自分の性格は本当に自分の性格なのか?」と問う
「当たり前じゃないか」
そんな答えが返ってくるだろう
しかし、環境が違えば性格も変わってくるハズ
もしも両親がいなかったら。学校に行くお金が無かったら。虐待を受けて育ったら、、、生まれたのがアメリカだったら、、、
「自分」と認識している性格は単なる「偶然の産物」でしかないことに気づく。
では先天的な性格と後天的な性格との境界はどこなのか??
頭の中はもうグルグルしている
ようやく一つの解釈にたどり着く。以下メモ程度
先天的性格=素材
後天的性格=加工
最終的な性格=制作物
例えば、金づちを作りたいとする
素材は鉄とアルミ
アルミの槌は軽くインパクトに欠ける
鉄の槌は重く、丈夫でしっかりと打ち込める
どちらも似たような成型は出来るが、出来上がった品は全く異なる
『適した素材×適した加工=優れた制作物』という構図。
脆い鋼で良い刀は作れない
ここがチグハグだと、性格的に「生きづらさ」を感じるのだろう。多分
もう少し考える。こうも考えられる。
先天的性格は『素材』=重い、軽い、固い、柔らかい、延びやすい、色、光沢、
後天的性格は『加工』=熱したり叩いたりして形を変えていく
話は変わるが、素材には弾性変形と塑性変形がある。ざっくりいうと以下の通り
弾性変形=ばねやゴムのイメージ。変形しても元に戻る
塑性変形=ばねやゴムを過度に引き延ばした場合、変形が元に戻らない
話を戻す。生きていると、環境や人間関係から様々な外力を受ける
成人にもなれば、性格が変わる機会はそう多くない。多少の外力はゴムのように弾性変形で吸収してしまう。しかしあまりに外力が強すぎる場合には性格がねじ曲がってしまうといった具合。反対に生まれてすぐは、素材は柔らかく成型しやすい。つまり幼少期の環境が性格に及ぼす影響は大きい。
じゃぁ、自分の素材はどんななんだろう。
またグルグルしてきた
とりあえずこの辺で勘弁してもらえないだろうか