消費社会は幸せなのか
最近、何かを考え出したり工夫することが楽しい。
モノを買う前に、身近な素材で代替できないか、自作できないか考えることが多くなった。
当たり前だけど自分の中では新鮮な気づき
使う人間がいれば作る人間がいる。
そして作る人間は自分でもいいし、その気になればなんだって作れる。
なんだか小学校くらいまでは当たり前のように感じていたことが成長するにつれて消滅していったような、、、
消費に溺れた理由を考えてみた
①なんでも手に入った
出来合いの服、出来合いのゲーム、スパイク、携帯、、、、
仕方ないのかもしれないが流行を追う事に忙しかった。またそれが比較的簡単に手に入ってしまったため、代用品や創作する気など起こるハズもない
中毒のように、時間があればショッピングサイトとにらめっこをしていた
既製品からコスパの良いものを選択する目は養われたが、あの頃は安けりゃよし。縫製の良し悪し、素材の良し悪しなんて分からなかった。
②モノづくりが遠い存在になっていった
職住分離
両親はいわばサラリーマン。外に働きに出て給料を貰って生活する生活。
今でも親が会社でなにをしているのか全く知らないし、プライベートでもモノを作ることは皆無。
仮に実家が自営業なら、創意工夫をしながらお金を稼ぎ暮らしていく親の姿に学ぶこともあったろう。商品を作るのはもちろん、店の模様替えをしたり修理したりとモノを作る機会も潤沢にあったと想像する。
おわりに
お金を払っただけで手に入る消費は中毒性が強い。
一つ手に入ればまた別の物が欲しくなる
歯止めをかけるにはモノを作る楽しさに気づくことだと考えるようになった。
20代後半、残りの人生架けて、次の世代にモノを作り出す姿勢を示せるような人間になりたいと願う。